【東日本大震災体験談-1】地震発生当日の様子

宮城の思い出

どうも、はらやんです。


『2011年3月11日

この日は決して忘れられないでしょう。

しかし、もう10年前のことになるんですね。

少しずつ記憶は改変されていきます。

だんだん記憶も薄れていくので、覚えているうちに振り返ってみようと思います。

震災当日-発生から家族合流まで-

地震発生時

2011年3月11日。

私は中学校の卒業式前日

早上がりで自宅に戻り、明日に思いを馳せながらゲームをしていました。

リビングでテレビを陣取りポチポチポチ。

平日なので両親は仕事、妹は学校です。

そろそろ辞めようかな…なんて思っていたら携帯がけたたましく鳴り響きます。


緊急地震速報です。


高校に上がるからと、少し前に買ってもらったガラケー。

通知のランプが真っ赤に光り、地面がぐらぐら揺れ始めます。

初めて聞く緊急地震速報に動転しながらも、携帯をつかんで机の下に飛び込みました。

はらやん
はらやん

意外と大きいな…え、ちょっと大きすぎる!

もぐりこんですぐに、

ガッシャン!バタン!

鳴り響く落下音。

なんだなんだと大混乱でした。

一回揺れが収まりかけたころに、友人からメール。

先輩
友人

こちらは無事。大丈夫か?

大丈夫と手早く返信し、両親への電話を試みます。


…つながらない。

みんなが電話して回線がパンクするのだろう。

ならばメールと送るが全然送れない。

はらやん
はらやん

揺れている間にメールを送ってきた友人、やりおる

地震の全容を知らない私は、結構強かったけど平気だろうと能天気。

机の下で余震が収まるのを待ちながら、周囲の状況確認。

リビングでは食器や小物がそこかしこに散乱し、キッチンではレンジが落下していました。

5分くらいすると父からSMSが。

「父母は無事。妹回収。連絡願う。」

はらやん
はらやん

なるほどSMSならつながるのね

「自宅。無事」

返信してから、考える。

暇だな…

電気もつかない状況で海岸に近い地域がどうなっているか考えもしませんでした

余震の続く中で片付け開始

余震が続く中、揺れたら机に戻るヒットアンドアウェイでリビングの片付け開始。

ガラスを踏んだら危ないので、スリッパをはいて移動。

地震対応を学んでおいてよかった。

棚にいろいろ戻して、レンジを持ち上げます。

この子は無事だろうか…

はらやん
はらやん

停電復旧後に壊れてしまっていたのを確認しました…

余震の頻度も下がってきたので自室へ状況確認へ。

はらやん
はらやん

本が!散乱している!大切な私の本たちが!

本棚には200冊ほどの本をしまっていたのですが、ほとんどが散らばっていました。

折れていないか確認しながら一冊ずつ本棚に戻していく作業。

今思えば、写真を撮っておくべきでした。

保険とかの請求に役立ったかも。

そんな感じで片付けをしていたら、17時過ぎくらいに母が帰宅。

しばらくして父と妹も帰ってきました。

ひとまず無事を喜びあいました

震災当日 夜-非日常の始まり-

私が片付けてしまったので、割ときれいになっていた自宅

私以外にあの悲惨な状況を知る人はいません。

危ないから片付けなくてもよかったのに

さてさて状況確認。

  1. 生活インフラはすべて停止
  2. 水だけは降圧式だったので、まだ少しは出る

備蓄していたろうそくで暗くなった部屋を照らすと

いもうと

お誕生日会みたいだね

不安で泣かなくて良かった。

食料は運よく前日に買い込んでいたので、ある程度余裕はありました。

しかし、冷蔵庫は止まっています。

夜ごはんは悪くなってしまうものから消費するため、まさかの焼肉。

ガスコンロで肉を焼きます。

お皿は洗わなくてもいいように、ラップをかけて使用。

バーベキューみたいでワクワクしてたと、後日妹は語っています。

外は街灯が消えているので一面の星空

確かにキャンプ気分にもなりますね。

夕食後に携帯のワンセグで父と情報収集

キャスターが深刻な声で燃える海の映像について話していました。


一切理解できない。


流される家と火事の様子でした。

精神的に良くないと、私に見せるのを止めて父だけが情報を集めていました。

夜はお湯を沸かして、最小限で洗いました。

夜でもまだ水は出たので良かった。

はらやん
はらやん

明日の卒業式どうなるのかな?

情報が少ない中、のんきに考えて眠りにつきました。

コメント

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