震災から10年がたった今だからこそ、過去を振り返らねばなりません。
人は忘れる生き物なのですから。
震災当日の体験談はこちら。
震災翌日 被害の大きさと不安
震災当日は被害の大きさを知らずに眠りにつきました。
翌朝、ラジオを聞いて被害の大きさを知ることになります。
父からもテレビの情報が精査されて伝えられます。
父が情報を精査してくれたのは非常に助かりました
そのままの情報は生々しすぎて、トラウマになっていたでしょう
曰く、想定の何倍も大きな地震だった。
海岸に近い場所は津波で壊滅的被害を受けたとのこと。
津波は教科書の中の知識としては知っています。
ただ、知っているだけでした。
徐々にメールもつながるようになってきて、真偽が判断できない情報が断片的に集まってきました。
卒業式は取り敢えず中止らしいよ
体育館のガラスが割れたらしい
学校で炊き出しをしていて、ボランティアを集めているらしいよ
家は学校から遠く、余震が続く中で様子を見に行くのは悩みました。
結局、家族が散るのは危険という判断で、真偽不明のまま放置します。
祖父母と連絡を取り、状況確認のために家族で向かいます。
実家より被害が大きい地域で、向かう道の所々では地割れが起こっていました。
水関連の漢字が地名にあるので、地盤的に弱い地域なのでしょう
とりあえず祖父母と家は無事だったので一安心。
家へと戻ります。
震災翌日 夜
夜になりましたが、今日もインフラは復旧しません。
貯蓄していた水を使います。
日頃から準備をしていた父には感謝しきれません。
給水車に並んだと多くの同期が話していたので、私はかなり恵まれていました
食料は悪くなるものから消費。
明かりはろうそくで。
ご飯を食べたらお風呂…とはいかないのでお湯で体を拭きます。
カセットコンロでお湯を沸かして、水で薄めて使います。
あまり悲観的な記憶は残っていません
父と母が明るく振る舞ってくれたおかげでしょうか
情報も集まり多少余裕が生まれると、気になるのは将来のこと。
実は、公立高校の合格発表がまだされていませんでした。
発表日は卒業式の何日か後の予定です。
合格発表はあるのか、私は合格できているのか。
そんな不安にさいなまれながら、非日常的な暮らしを繰り返します。
電気の復旧!ありがたさを再認識
地震発生から何日か…3-4日経った頃でしょうか。
眠りにつくため布団にもぐりましたが、妙に外が明るいのです。
明け方か?と思うくらい外が明かるい。
カーテンを開けると、マンションの外灯がついているではないですか!
急いで家族を起こして報告。
みんなで喜んだのを覚えています。
ですが、私にとっては問題です。
まぶしいじゃないか!!!
いつもこんなに明るかったの!?
暗い場所が好きな私には、外灯の明るさはちょっと苦痛でした。
無いと不便ですが、無ければ無いでそんなに困ってなかったのですよね…。
当時ネットもパソコンも無い家でしたので(笑)
高校2年くらいの時にネット回線が開通したような…
外灯の明かりがない夜も中々良かったんですよ。
星空はきれいでしたし、みんな早く寝ているのでキャンプのような静けさもありました。
3月じゃなかったら全く違ったでしょうね。
冷蔵庫もエアコンも使えないのは大変です。
東北電力の職員さんには感謝しきれないです。
水道は震災発生から1週間。ガスは1カ月くらいで復旧した記憶があります。
震災で復活した絆 助け合いの精神
電気が復旧して数日後、幼馴染が訪ねてきました。
すぐ近くに住んではいるのですが、小学校に上がる前に引越したため学校は別。
そのため、近くに住んでいてもほとんど交流はなく、たまに顔を合わせる程度。
ちょっと最初はギクシャクしてましたね
なんでも、オール電化の家なので、いつも通りの暮らしに近いらしい。
水道も復旧したので良ければお風呂でも?とお誘いでした。
オール電化、強し
更に、近所の情報を持ってきてくれました。
どうやら、コンビニが残った商品を売るらしい。
お店の方も大変な中、一生懸命対応してくれてありがたかったです。
しばらくして、イオンなどの大型施設も商品を売り出すようになりました。
こうした情報は鮮度が命!
非常時のご近所ネットワークは大事ですね。
この幼馴染とは震災を境に、時々連絡を取るようになりました。
結構なオタクでして、私もどっぷりつかることになるのです。
テスト直前で、英語が壊滅的なことが判明し、教えることになったのはいい思い出です。
今は連絡を取ってはいませんが、こうして繋がる絆もあるのですね。
震災から学んだこと
インフラが復旧してからは、徐々に日常が戻ってきました。
卒業式・合格発表を終え、春がやってきます。
余震はちょくちょく続きますが、もはや全員慣れつつありました。
震災前なら慌てたような地震でも、授業は一切止まらなかったですね
良くない慣れです
教訓として残すのなら
- ・災害直後は必要以上に情報を集めてはいけない。病みます。
- ・怪我だけはしてはいけない。災害時の怪我は命取り。スリッパを用意。
- ・備蓄はしっかりと行うこと。配給があるまでの心の余裕が違う。
- ・最低限の近所付き合いはしておく。遠い親戚より近くの他人。
10年経って暮らしは随分と変わりました。
SNSを使えば簡単に情報が集められます。
私の教訓としては見てはいけないですよ
真偽不明の情報が飛び交います
今はウイルスの関係でまた生活様式が変わりましたね。
でも基本となることは決して変わらないでしょう。
復興五輪として始まってるのですが、日常に戻れない人も多くいます。
自分はただラッキーだっただけ。
それを忘れてはいけませんね。
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