こんにちは、はらやんです。
私は昔から真面目で、石頭なんて言われても来ました。
もっと肩の力抜いていいんだよ?
もうちょっと柔軟に考えてみたらどうかな?
なんて周りからよく言われていました。
私は覚えていないのですが、幼稚園の頃から堅物だったようで
私が出来ることはみんな出来るに決まってる!
出来ていない友達はさぼってるに違いない!
母から聞いたときは、なんて子供なんだと思いました(笑)。
今は割と適当に生きてます。
不真面目というより、肩の力の抜き方を覚えました。
今回は、真面目過ぎた私が精神を若干病んだ後、どう立ち直ったかについて書きます!
褒められる方法を探した小・中学生時代
小学生は運動が出来る奴がすごい!と思われますよね?
私は運動ができない子供でした。
その割に体は大きいので、年齢的には上に見えるのですよね。
みんなから、すごい!と褒められている友達が羨ましかったです。
そこで、親がほめてくれる得意なことを探します。
運動より勉強の方が抵抗がなかったんです
テストでいい点を取ると、親も祖父母も褒めてくれます。
それが楽しくて、嬉しくて勉強をしていました。
でも結局、小学校では勉強ができる奴より運動ができる奴が凄いんですよ!
クラスのカーストって面白いですよね。
時代は変わりますが、今もその辺は変わらないんでしょうか?
今でも運動には苦手意識があります(^^;
上手くできないから運動しない→運動しないから筋肉がない→運動できない
完全に悪循環です。
中学に入ると勉強ができる人に対する目が変わります。
順位も出ますし、テストの点で争ったりなんかもしますよね。
すると思うわけですよ。
今まで自分より運動が出来て凄いといわれていた友達より、勉強ですごいと言われる!
承認欲求を満たす方法が勉強になります。
こうして、勉強ができる自分というのが個性であると認識するようになってしまいました。
勉強することが強迫観念となった大学時代
高校までは割と勉強ができました。
高校で出る問題は、基本的に教科書や参考書の内容を出ません。
知識の組み合わせで出来る問題で、根本的に理解ができない問題になることは稀です。
ただ、大学になると変わってきます。
内容はより根本的な深い話になり、高校の知識が正確には違う、なんてこともあります。
テストのたびに必死に勉強していました。
合格点をとるだけなら難しくないんです。
別に落第させようとテストを作っているわけではありませんしね
ただし、いい成績をとろうとすると話が変わってきます。
教科書を読み込み。なぜそうなるのか、根本的に理解しなければなりません。
過去問も出回っていますが、高校までと同じ勉強では通用しなくなってきました。
当時の私の中では勉強が出来るというのは必須条件です。
勉強が出来なくなっては、自分の個性が無くなってしまうと考えます。
私が私であるために勉強が出来なければならない
テスト前は鬼気迫る感じで勉強していました。
今思うと笑えるのですが、苦手科目で単位を落としたら精神崩壊するなんて考えてました。
味覚過敏?テスト前に味が分からなくなる
その時は、過去問が分からな過ぎてかなり追い込まれていました。
勉強ができないお前にどんな価値がある?
そんなテスト期間のある日の朝です。
油っこくてフルグラが食べられない!
パンすら気持ち悪い
はい、完全にストレスでやっちゃいました。
数日で収まりましたが、かなり辛かったです。
あー、この生き方は持たないな。
なんて思いはしましたが、他に自分の個性を確立していないので他の生き方なんて無理!
そうして日々を過ごしていました。
妻との出会いと自己確立
妻と出会ったのは大学院です。
なんやかんやあって付き合うことになったのですが、今の生き方が出来ているのは妻のおかげだと考えています。
たとえ勉強が出来なくても、自分を肯定してくれる人。
これはとても大きい存在です。
親兄弟は?と思うかもしれませんが、そもそも親に褒められたくて勉強し始めたわけで。
親に点数で怒られた経験はないですよ
逆に無いからこそ、勉強ができない・優秀でない自分でいるのが怖かったです。
7割の力で日々を生きよう
今は7割くらいの力で生きてます。
サボっているのではなく、常に余裕がある状態です。
「ほどほどに頑張ろう」ってよく言うよね
頑張るって疲れるんですよ。
常に必死な人より余裕があったほうがモテるように。
余裕がある方が優秀とみられる不思議。
仕事もやる時はやるやつ、って思われたいなと日々を過ごしてます。
全員じゃなく、数人でも私を肯定してくれる人が居ればいいんです!
これが私の経験です。
もし似たような境遇の方がいらしたら、なにか参考になれば幸いです!
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