【東日本大震災体験談-2】震災翌日から日常が戻るまで 震災からの学び

宮城の思い出

震災から10年がたった今だからこそ、過去を振り返らねばなりません。

人は忘れる生き物なのですから。

震災当日の体験談はこちら。

【東日本大震災体験談-1】地震発生当日の様子
どうも、はらやんです。『2011年3月11日』この日は決して忘れられないでしょう。しかし、もう10年前...

震災翌日 被害の大きさと不安

震災当日は被害の大きさを知らずに眠りにつきました。

翌朝、ラジオを聞いて被害の大きさを知ることになります。

父からもテレビの情報が精査されて伝えられます。

はらやん
はらやん

父が情報を精査してくれたのは非常に助かりました

そのままの情報は生々しすぎて、トラウマになっていたでしょう

曰く、想定の何倍も大きな地震だった

海岸に近い場所は津波で壊滅的被害を受けたとのこと。

津波は教科書の中の知識としては知っています。

ただ、知っているだけでした。

徐々にメールもつながるようになってきて、真偽が判断できない情報が断片的に集まってきました。

先輩
友達

卒業式は取り敢えず中止らしいよ

体育館のガラスが割れたらしい

いもうと
母の友人

学校で炊き出しをしていて、ボランティアを集めているらしいよ

家は学校から遠く、余震が続く中で様子を見に行くのは悩みました。

結局、家族が散るのは危険という判断で、真偽不明のまま放置します。

祖父母と連絡を取り、状況確認のために家族で向かいます。

実家より被害が大きい地域で、向かう道の所々では地割れが起こっていました。

はらやん
はらやん

水関連の漢字が地名にあるので、地盤的に弱い地域なのでしょう

とりあえず祖父母と家は無事だったので一安心。

家へと戻ります。

震災翌日 夜

夜になりましたが、今日もインフラは復旧しません。

貯蓄していた水を使います。

日頃から準備をしていた父には感謝しきれません。

はらやん
はらやん

給水車に並んだと多くの同期が話していたので、私はかなり恵まれていました

食料は悪くなるものから消費。

明かりはろうそくで。

ご飯を食べたらお風呂…とはいかないのでお湯で体を拭きます。

カセットコンロでお湯を沸かして、水で薄めて使います。

はらやん
はらやん

あまり悲観的な記憶は残っていません

父と母が明るく振る舞ってくれたおかげでしょうか

情報も集まり多少余裕が生まれると、気になるのは将来のこと。

実は、公立高校の合格発表がまだされていませんでした。

発表日は卒業式の何日か後の予定です。

合格発表はあるのか、私は合格できているのか。

そんな不安にさいなまれながら、非日常的な暮らしを繰り返します。

電気の復旧!ありがたさを再認識

地震発生から何日か…3-4日経った頃でしょうか。

眠りにつくため布団にもぐりましたが、妙に外が明るいのです。

明け方か?と思うくらい外が明かるい。

カーテンを開けると、マンションの外灯がついているではないですか!

急いで家族を起こして報告。

みんなで喜んだのを覚えています

ですが、私にとっては問題です。

はらやん
はらやん

まぶしいじゃないか!!!

いつもこんなに明るかったの!?

暗い場所が好きな私には、外灯の明るさはちょっと苦痛でした

無いと不便ですが、無ければ無いでそんなに困ってなかったのですよね…。

はらやん
はらやん

当時ネットもパソコンも無い家でしたので(笑)

高校2年くらいの時にネット回線が開通したような…

外灯の明かりがない夜も中々良かったんですよ。

星空はきれいでしたし、みんな早く寝ているのでキャンプのような静けさもありました。

はらやん
はらやん

3月じゃなかったら全く違ったでしょうね。

冷蔵庫もエアコンも使えないのは大変です。

東北電力の職員さんには感謝しきれないです。

水道は震災発生から1週間。ガスは1カ月くらいで復旧した記憶があります。

震災で復活した絆 助け合いの精神

電気が復旧して数日後、幼馴染が訪ねてきました。

すぐ近くに住んではいるのですが、小学校に上がる前に引越したため学校は別

そのため、近くに住んでいてもほとんど交流はなく、たまに顔を合わせる程度

はらやん
はらやん

ちょっと最初はギクシャクしてましたね

なんでも、オール電化の家なので、いつも通りの暮らしに近いらしい。

水道も復旧したので良ければお風呂でも?とお誘いでした。

はらやん
はらやん

オール電化、強し

更に、近所の情報を持ってきてくれました。

どうやら、コンビニが残った商品を売るらしい

お店の方も大変な中、一生懸命対応してくれてありがたかったです。

しばらくして、イオンなどの大型施設も商品を売り出すようになりました。

こうした情報は鮮度が命!

非常時のご近所ネットワークは大事ですね。

この幼馴染とは震災を境に、時々連絡を取るようになりました。

結構なオタクでして、私もどっぷりつかることになるのです。

テスト直前で、英語が壊滅的なことが判明し、教えることになったのはいい思い出です。

今は連絡を取ってはいませんが、こうして繋がる絆もあるのですね。

震災から学んだこと

インフラが復旧してからは、徐々に日常が戻ってきました。

卒業式・合格発表を終え、春がやってきます。

余震はちょくちょく続きますが、もはや全員慣れつつありました。

はらやん
はらやん

震災前なら慌てたような地震でも、授業は一切止まらなかったですね

良くない慣れです

教訓として残すのなら

  • ・災害直後は必要以上に情報を集めてはいけない。病みます。
  • ・怪我だけはしてはいけない。災害時の怪我は命取り。スリッパを用意。
  • ・備蓄はしっかりと行うこと。配給があるまでの心の余裕が違う。
  • 最低限の近所付き合いはしておく。遠い親戚より近くの他人。


10年経って暮らしは随分と変わりました。

SNSを使えば簡単に情報が集められます。

はらやん
はらやん

私の教訓としては見てはいけないですよ

真偽不明の情報が飛び交います

今はウイルスの関係でまた生活様式が変わりましたね。

でも基本となることは決して変わらないでしょう。

復興五輪として始まってるのですが、日常に戻れない人も多くいます。

自分はただラッキーだっただけ

それを忘れてはいけませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました